ホーム > 組織で探す > 総務部 > 広報推進課 > メールマガジン「いま、山形から・・・」 > シリーズ企画 > 山形の若者 > 冒険家 関口裕樹さん

冒険家 関口裕樹さん

いま、山形から・・・ 山形の若者 冒険家 <ruby><rb>関口 裕樹</rb><rp>(</rp><rt>セキグチ ユウキ</rt><rp>)</rp></ruby>さん(山形市出身)
(平成27年2月6日掲載)

 高校時代に決意した、冒険家への道。山形市出身の関口裕樹さんは、これまで気温がマイナス50℃近くになる厳冬期のアラスカや、逆に気温が50℃にもなるカリフォルニアのデスバレーの自転車踏破などに挑んできました。現在は、そりを引いての北極海氷上500㎞単独徒歩踏破を目指しています。

目的を見失った中学時代 冒険家を志した高校時代
18歳で徒歩での日本縦断(2006年5月~9月、109日間、2,715㎞)

 小学生の頃は格闘技が好きで、ボクシングの試合などを夢中になって見ていました。中学に進むと空手道場に通うようになり、県大会では何度か優勝もしましたが、全国大会は2回戦で敗退。ボコボコに負けてそれまでのモチベーションが保てなくなり、空手をやる気がなくなってしまいました。中学校の卒業時には道場をやめ、目標が何もなくなっていました。

生まれて初めての野宿は、とにかく怖かった。

 高校に進学しても目標が見つけられず、部活動もしていませんでした。でも「自分には何かできるんじゃないか」という気持ちと、「世界を見てみたい、冒険や旅をしてみたい」という漠然とした思いがありました。図書館に通い、徒歩による大陸横断や登山、ヨット、バックパッカー旅行、紀行などの本を片っ端から読んでいくうちに、憧れや興味本位だったものが、「やりたい!」に変わっていったのです。徒歩で日本縦断する本を読んで、自分もやろうと決意しました。授業が終わってからアルバイトをして、その後にマラソンや筋肉トレーニングをしました。部活動の代わりに、冒険の準備に時間を費やしました。高校を卒業後、18歳の時に徒歩での日本縦断(2006年5月~9月、109日間、2,715㎞)に挑戦しました。

 

田中幹也(かんや)さんとの出会い
2013年厳冬期アラスカ、自分にとって初めての北極圏。前年の失敗を乗り越えゴールへ向けて走る。

 翌年は自転車での日本1周(83日間、9,051㎞)に挑戦しました。2008年に徒歩での韓国縦断(29日間、720㎞)、2009年に約8カ月をかけて自転車でのオーストラリア大陸1周(233日間、21,075㎞)を行った後、自分の中に疑問が生じてきました。「長い距離を移動するのは、誰がやっても時間をかければいつか目的地に着けるんじゃないか」と。

気温マイナス40℃の世界では、自分の吐く息に含まれる僅かな水分ですら一瞬で凍りつく。

 単に長距離を移動することに魅力を感じなくなり悩んでいるときに、冒険家の田中幹也さんのホームページを見て、衝撃を受けました。気温がマイナス40℃からマイナス50℃にもなる真冬のカナダ。地域によっては日本海側のようなドカ雪が降る場所に十何年も通うのですが、行く度にひどい凍傷を負ったり、肋骨を疲労骨折したりして、目的地に到達できずに帰ってくることもある。そういう記録を見て、大きな衝撃を受け、胸が熱くなりました。

 「僕がやりたかったのは、これなんじゃなかったのか」と、共鳴できたのです。憧れていた冒険家、故植村直己さんの存在も胸の中にあったのだと思います。「自分も北極での冒険がしたい」という思いが明確になりました。

 

北極圏へ 失敗を越えての成功
2012年厳冬期アラスカ、北米大陸最高峰マッキンリー山(6,194m)があるデナリ国立公園。

 寒冷地の経験がゼロだったので、最低限の技術を身に付けようと、まず真冬の北海道を自転車で走りました(2011年1月 自転車厳冬期北海道走行、21日間、1,320㎞)。「厳しい自然環境の中、できるかできないかわからない、限界いっぱいのことをやりたい」それが今のスタイルの原形となりました。

冬の北極では天気が良ければ高確率でオーロラが現れる。常に揺れ動く姿はとても幻想的。

 2012年には自転車で厳冬期のアラスカ縦断を試みたのですが、距離的には半分のところで失敗しました。足の指が全部凍傷になってはいたのですが、初期の凍傷だし、食糧も燃料もたくさんあったので、行こうと思えば行けました。凍傷は言い訳で、完全に心が折れていたのです。もう走れなかった。北極圏にすら入れていなかったのに、あの場所にいることが耐えられなかった。

 そして2013年にリベンジ(1~2月 自転車厳冬期アラスカ縦断、1,400㎞、32日間)して成功することができました。失敗を乗り越えての成功であり、初めて北極圏に入った第一歩だったので、心に残っています。

 

冒険の裏側
永久凍土、ツンドラ地帯では草木1本生えず、360度見渡す限りに真っ白な風景が広がる。

 どんな冒険でもそうなのですが、やっている最中はめちゃくちゃつらい。楽しいことは何と聞かれるけれど、つらいことばかり。最初に徒歩で日本縦断をした時に一番つらかったのは、歩くこと。歩くこと自体疲れるし、夏場1日30㎞を朝早くからクタクタになるまで歩いても、その1日が全行程の何十分の一でしかない。精神的にもつらかった。

 生まれて初めてする野宿も怖かったです。今はどこでも寝られるんですが、初めての夜はとにかく怖くて。1週間くらいずうっと怖かったですね。

2014年厳冬期カナダ、凍結したマッケンジー河上を食料と燃料を積んだソリを引きひたすら歩く。

 歩くのがつらいし、いつも野宿ですから、シャワーを浴びることもできないし、ベッドで休めるわけでもない。いつも「やめたい、やめたい、もうやめたい」と思っているんですよ。何回も冒険を終えているけれど、これは今もです(苦笑)。

 それなのに、やり終えると寂しくなる。「もうやめたい」って思っていたのに、ゴールすると今まで準備のために頑張ってきたことがすべて必要なくなって、寂しさを感じるのです。そして、終わったら満足するのではなく、次の目標が自然に生まれてくるんです。

 

アウトドアが楽しめる 山形県の魅力

 現在の住まいは東京ですが、数年前、ふらっと山形県の山へ登ってみたら、楽しかった。標高が高くない場所であっても森が深く感じられる、東北の山の独特の雰囲気がすごく好きなのだと気が付きました。北極遠征前には冬の蔵王に登ったり、黒伏山(東根市)の岩壁でロッククライミングをしたりしています。山形県は、スノーボードやスキーはもちろん、海にも面していて、アウトドアスポーツなら何でもできるところが魅力ですよね。

 ゆでたうどんを納豆、サバ缶、卵などで作ったつけだれに入れて食べる「ひっぱりうどん」は、外で味わうと格別。他県出身の山の仲間に教えたら大好評で、みんな「おいしい、おいしい」と言って食べてくれました。

 

孤独な冒険と、大切なつながり

 今一番引かれているのは、北極圏での冒険です。今年(2015年)2月に予定している知床半島への冒険が終わったら、語学留学する予定です。2016年の冬には北極圏の村に入り、北極海氷上でキャンプをしながらトレーニングをします。現地の気候に体を慣らしたり、ホッキョクグマを威嚇して身を守るためのライフルの訓練などをしたりして、2017年にそりを引きながらの北極海氷上500㎞単独徒歩踏破を目指します。北極圏ではGPS(衛星利用測位システム)で位置を確認しながら進むのですが、以前はクレバス(氷河や雪渓の深い割れ目)があっても歩いていけば大抵どこかで繋がっていたのに、温暖化の影響なのか、氷が完全に割れてしまって陸続きになっていない場合もあり、そんな時は泳いで渡ったりすることもあります。

 冒険の資金を集めるため、日本にいるときは、アルバイトのほか雑誌に掲載する記事などの執筆活動をしたり、依頼を受けて講演を行ったりしています。

 冒険に出てしまえば自分との戦い。非常に孤独ですが、日本にいる時は若手の冒険家同士の交流もあります。また、先輩の冒険家からは、装備についてのアドバイスを受けたり、つらい時の精神の保ち方や人間関係の大切さなどを教えていただいています。新聞や雑誌などに取り上げてもらったり、様々な形でたくさんの方から応援していただいていることに感謝しています。自分が自分の限界を追求することで、自分の冒険を支えてくださっている皆さんへお応えしていきたいと思っています。

 

関口裕樹 ブログ http://ameblo.jp/timl40000k/

 

撮影協力

モンベル山形店 山形市幸町7 tel.023-615-1641

 


 

この記事に対するお問い合わせ

このページの先頭へ

ナビゲーション

更新情報

  • 平成27年2月6日掲載

関連情報