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最上川舟下り

いま、山形から・・・ 山形の旬だより 最上川舟下り

 鮮やかな新緑や桜の花、涼やかな夏の川面、水面を染める紅葉、水墨画を思わせる雪景色…と、季節ごとに美しい表情をみせる最上峡。その絶景をガイドの名調子とともに楽しむのが、最上川舟下りです。景勝地であるばかりでなく、この川は山形の歴史そのものです。

 

見出し①

 舟下りの際に話題にされるのが義経伝説です。平安時代末期、兄・源頼朝との対立から追われる身となった源義経は、1187年鼠ヶ関(鶴岡市)から山形に入り、途中から舟に乗り、最上川を遡上して奥州平泉を目指したと伝えられています。そのため舟下りのコースには義経ゆかりの地がいくつも残っているのです。

舟でしか行けない神社、仙人堂。

 そのゆかりの地のひとつ、仙人堂は、義経一行と別れ、山伏修行の後仙人になったという常陸坊海尊を祀り建てられたもので、外川神社とも言われ、舟でしか行けない神社です。名勝として知られる白糸の滝では、義経や北の方が和歌を残したと伝わっています。

 その義経伝説からおよそ500年後、1689年には、俳人・松尾芭蕉が義経ゆかりの地に立ち寄り、多くの句を残しています。代表作として広く知られるこの句は、仙人堂で詠んだと言われています。

 五月雨をあつめて早し最上川 芭蕉

 

 見出し②

緑が色濃くなる夏、白糸の滝。

   江戸時代になると、山形では西廻り航路の開発により舟運文化が栄えます。山形の特産であった米や紅花は最上川を下って酒田に集められ、そこから上方(関西)へ。帰りの舟には雛人形など様々な荷が積まれて最上川の支流地域へと届けられ、山形の経済と文化に大きな影響を与えてきました。

 舟下りの船頭として、ガイドを行っている星川遼子さんによると、当時の舟の運行事情をよく伝えているのが「最上川舟唄」なのだそうです。


 

最上川舟唄 
編詩:渡辺国俊 編曲:後藤岩太郎

(ヨーエ サノ マッガショ エンヤ コラマーガセ エエヤ エーエヤ エーエ エーエヤ エード ヨーエ サノ マッガショ エンヤコラマーガセー)

酒田さがだぐさげ達者まめでろちゃ

(ヨイトコラサノセー)

流行風邪はやりかぜなどひかねよに

(エエヤ エーエヤ エーエ エーエヤ エード ヨーエ サノ マッガショ エンヤコラマーガセー)

股大根まっかんだいごの 塩汁煮しょっしるに しんよしょぱくてくらわんにゃえちゃ

(エーエヤーエーエ エーエヤーエード ヨーエ サノ マッガショ エンヤコラマーガセ)

<以下省略>


 

錦秋の最上峡。

 「当時は荷物を積んで酒田へ行くと、帰りは帆掛け船にして、風を待ちながら30日~40日かけて戻ることになったそうです。だから家族へ『戻ってくるまで、元気でいてくれ』と語りかけているんです。その風を待つ間の食事として舟に積んだのが、売り物にならない二股にも三股にも分かれた大根。高価な味噌はないから、塩で大根を煮たのだけれど、食事の支度など慣れないから塩を入れすぎて塩辛くて食べられない、と男所帯を嘆いたりするんですよ。この最上川舟唄を初めて聞いた時、素朴な船頭さんの姿と、雄大な自然、母なる最上川の風景が見えてきて、最上川舟唄を舟で歌いたくてガイドになったんです」と星川さん。

 編詩の渡辺国俊さんと編曲の後藤岩太郎さんのお二人は、舟運の中継地として栄えた大江町左沢の出身。独特の掛け声が心地よく、合間に入る短い詩が、星川さんの解説を聞くと、愛おしいものとなって現れてきます。

まるで水墨画のような雪と山の木々、川面。

 この最上川舟歌を山形弁混じりの英語や中国語、韓国語、フランス語で歌う船頭もいるのだとか。船頭の個性豊かな案内と、舟上で聞く最上川舟歌は、旅に彩りを添えてくれます。

 新緑の季節は、緑の中に様々なグラデーションが隠されていて、すがすがしい美しさがあります。太い川幅が急に狭くなり、山肌が目前に迫ってくる難所の景色はそれは見事。木々や花の香りまでが漂ってきます。

 歴史や自然、そして人の温かさを思い出す、最上峡へお出かけください。


 

取材協力及びお問い合わせ
戸沢村観光物産協会 TEL 0233-72-2110
最上峡芭蕉ライン観光 TEL.0233-72-2001
※降船場は最上川リバーポート[戸沢村草薙]。乗船場行きのバスや車の代行あり。
義経ロマン観光 TEL.0234-57-2148
※乗船・降船場は同一の場所(高屋乗船場)で車の回送は不要。

 

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